ふうせんバレーボール

  も の が た り  

☆★そもそも

1989年10月、北九州で『重い障がいのある人も一緒にできるスポーツがあったらいいな・・・』、そんな一人の障がい者の“つぶやき”から“ふうせんバレーボール”が生まれました。

これまでのハンディスポーツは、障がいのある人達だけでプレーするものが多く、しかも自分の意思や自力で動けない人が参加できるものはほとんどありませんでした。そこで、これまで病院や施設、障がい者関係の団体などでリハビリやレクレーションとして行われていた『ふうせんを使ったバレーボール』をスポーツへと発展させ、誰もが参加できる『ふうせんバレーボール』を考案しました。これは、バドミントンコートを使用して、障がいのある人3~4名と障がいのない人2~3名の計6名でチームを組み、チームの全員が直径40cmのふうせんんに触れて10回以内に相手コートに返すという全員参加型の競技です。

★☆そして

1990年4月15日、この新種のスポーツを全国に普及させていく活動を通して、障がい者の社会参加を進め、各地とのネットワークを作ろうと、“ふうせんバレーボール振興委員会”を発足させました。ルールの検討に半年かかり、紹介ビデオの作成、そして、各地へのアンケート調査も行いました。

☆★これまで

1990年秋に福岡県で「第26回全国身体障害者スポーツ大会」が開催されたことに合わせて『全国大会』を開催、北九州市、田川市、山口県から14チームが集まりました。

そして、翌年の第2回大会には鹿児島県が増え18チーム、第3回大会は大分県、長崎県が加わり24チーム、第10回の記念大会で48チームとなり、初めて大阪からの参加がありました。沖縄からの初参加は第18回、2007年のことです。2009年、念願の東京からのチームも参加してやっと 全国大会らしくなってきました。

1990年以降毎年、福岡県北九州市で開催しているこの「全国ふうせんバレーボール大会」には、毎回選手500人が集合して技を競い、ボランティアのスタッフ200人がそれを支えています。今では全国各地でこの競技を愛する方たちが大会を開催しており、全国障害者スポーツ大会でも2008年の大分大会、そして2014年の長崎大会でオープン競技とし採用され、大きな夢に一歩一歩近づいている気がします!!

一方では、「北九州市長杯 小学生ふうせんバレーボール大会」の開催を全面的に支援するとともに、小・中・高等学校等における人権教育、特別支援教育への関係資料提供、体育指導委員や ボランティアの人達を対象にした講習会、全国各地からの要請による講師の派遣等も行い、競技の普及に力を注いでいます。

★☆さらに

全国各地とのネットワークづくりを進めるため 1998年12月に鹿児島・大分・長崎・福岡の4県で『日本ふうせんバレーボール協会』を設立、会議を重ねて2008年には長い間に地域性の出てきたルールを見直し、「協会統一ルール」を完成させる等、ふうせんバレーボールを全国に広めるために力を合わせています。2009年に東京が、2013年には大阪も加わりましたが、今後47都道府県の参加を目指していきたいと思っています!  

海外へ向けての発信も行っています。1993年に英語版のルールを作り、イギリス、カナダ、スペインなど5ヶ国の障害者団体に送りました。2008年に改訂版ルールブックの英訳を行ったのを機に、2009年、英語版のホームページも完成。2010年には、2人のスタッフをドイツへ派遣し、ドイツの障害者スポーツの権威ホルスト・ストローケンデル博士他、現地での高い評価を得ることができました。現在ドイツを中心に世界各地にこの競技を紹介する機会も増えており、今後どのような展開があるか楽しみな状況です。

☆★これから

『ふうせんバレーボール』を通して、ふれあいの輪づくりと障がい者の社会参加を進めていき、日本中、そして世界中に“私達の想い”を伝えて行きたいと考えています。そして、いつの日にか、この競技がオリンピック種目となることを夢見ています